ツイッターを眺めていて、AIを脅威に感じる。素晴らしい画が何のコストもなく出来上がっていく。期待感と共に絶望的な気分になってしまったりする。
自分が今まで大切にしてきたクリエイティブの分野を覆しかねない、いや、すでに覆されているのかもしれない、、、
頭をぶん殴られたような衝撃を感じつつ、凄まじいテクノロジーの発展を目の前に、なすすべなくタイムラインを眺める自分がいる。
TOMOですこんにちは。久しぶりの投稿になりました。
AIテクノロジーの進歩によって、世の中は騒がしくなっていますね。
OpenAIのChatGpt やMidJourneyの画像生成等で世間は盛り上がっているような気がしています。
建築界からCG界に足を突っ込んだ矢先の出来事に、自分の立ち位置があまりにも危うく、今後どうなってしまうのかと危惧してしまいがちです。
頑張って綺麗な画作りをしている一方で、それが大量に量産されたり、自動生成されたり。
自分の仕事がなくなってしまうのではないか。
クリエイティビティやCGでバリューを出そうとしている自分は果たしてどんなマインドでこの時代を乗り切ればいいのか。
色々な仕事がAIやロボットに置き換わっていくのではないかと思われるこの時代に何を拠り所に生きていけばいいのか。
AIを使いこなし、先読みのできる最もすばしっこい人が成功していく時代なのか。
そんな時に必要なマインドについてまとめて見ました。
目次
AI時代の未来は予測できない
AIによってこれから何が起こるかはわかりません。
戦争か平和か、どんな利用がされるのかについてはっきりとした予想をできる人はいないでしょう。
AIによって何が起こるのか、またその存在が制限されたり、禁止されたり、どのような扱いになるのかもわかりません。
今までこんなに早くAIの時代が始まるとは予測できなかったように、今後も予測を裏切り続ける可能性はあると思います。
そんな時に未来予測をすること自体が無理だと思っているので、現在の状況に即した考えの方が重要だと思います。
ただし、AIの存在を無視するのではなく、今、現状の状態で、どうかという分析しか恐らくは役に立たないと思っています。
AIを含むテクノロジーの発展は今始まったわけではない
私は、AIのテクノロジーを目の当たりにして焦りました。
しかし、よく考えたらテクノロジーの進化はかなり前から緩やかに始まっていて、今更焦ったところで遅いような気がしています。
テクノロジーの発展としては、産業革命や、チューリングマシーンの発明、また、windows95やインターネットの広まり等、様々な変化が歴史的に起こっています。
その時に様々なインパクトが社会構造にもたらされたとは思います。
しかし、焦ること自体にメリットはなく、恐怖そのものにメリットがないことと同じくして、どちらかと言えば現在の事態を冷静に分析するのが良いように思っています。
その焦りの理由は、おそらくは「仕事がなくなる」とか、「自分の使ってるツールがゴミになる」とか、「自分の存在価値が、、、」とか、
そういった類の理由でだと思うので、それについては詳しく後述します。
ある程度安心できないと、人間は良いパフォーマンスを出せないので、まずは落ち着くことが肝要だと思っています。
安心する要因を一つ上げるならば、AI含むマシンよりもヒューマニティ、人間味みたいなものが今後の世の中で大切になると感じています。
例えば一流のホテルに泊まるときに、AIに相手をされるのと、おもてなしができる人間に相手をしてもらえるのとどっちがいいかみたいな話であるとおもいます。
また、別の例を挙げるとするならば、例えChatGPTがいいやつのように思えても、友達や家族の代わりにAIがあればいいというわけにはいかないと思います。
例えば建築でいえば手書きのスケッチの良さみたいなことは、今後もなくならないだろうと思えます。
簡易的なコミュニケーション手段としても、アート的な側面だけでも価値があると思います。
CADが出ても、BIMになっても、これがAIを使った新しいサービスになったとしても、ツールが増えたところで、
設計のコアになる「クライアントの意図を実現する能力」は人間ほどオールマイティかつ臨機応変な対応はできないように思えます。
MidJourneyやChatGpt等のAIは本当に脅威かそれともアドバンテージか
恐らくは両面あるのではと思っています。
どんな変化も機会と問題をもたらすものと考えています。
そんな時に思い出すのはドラッカーの名言である「問題に圧倒されて機会を見失ってはならない」です。
マシンを利用できるなら利用すればいいし、逆にしないでマニュアルでやるなら、逆にそのメリットを生かせばよい。
どちらにせよ機会にフォーカスしたいと思っています。
主なアドバンテージは皆さん恐らくもう充分に感じていると思うので、ここでは語りません。
むしろマニュアルであることのアドバンテージが見えなくなりそうなので、そちらについて話したいと思っています。
産業革命の後でも手作りの良さはなくならなかったように、人間味の価値もおそらくなくならないでしょう。
車にもマニュアルとオートマチックが存在するように、生産性や利便性だけが価値判断の基準にはならないと思います。
人類にとって脅威かという議論はさておき、AIは脅威にもなりえるし、それを利用するアドバンテージもあるはずだと思います。
既存のツールはゴミになるのか
ツールにもよると思うのですが例えば何かのサービスが停止してしまう恐れはあると思います。
しかし、インターネットが発展してウィキペディアが出たことで辞書を引く事が少なくなっても、辞書自体はなくなっていないように、生き残るサービスもあると思います。
辞書がウィキペディアに、そして、ChatGPTになったとしても、おそらく辞書の方が好きって人はいると思います。
ペラペラめくったり、線を引いたり書き込んだりできるメリットもありますよね。
建築界でも、BIMが主流になってもJWキャドを使ってる人がいるように、ツールが生き残るかどうかは時と場合によると思います。
鉋(かんな)がまだ存在してたりするのってやっぱり優れたツールなわけですよね。
一つのツールで一点突破するメリットもありますし、複数のツールにリスク分散する戦略も同時にあり得ると思います。
なる可能性もあるが、ならない可能性もあるのであれば、無駄に心配することは避けたいと思います。
今持っているスキルツリーを伸ばし続けることの大切さ
私が悪い例になるのですが、新しいテクノロジーを見てすぐに飛びついては、次のサービスに移るというのは戦略としてあまり良くないなと思っています。
ツールの進化はありますが、その進化の最先端を追い続けると、ツールの美味しいところまで到達しない可能性があります。
例えるならば、鉱山で金鉱発掘するのに、どうやって梯子を上るかばかり考えてはいつまでも掘れずにいるようなことになると思います。
テクノロジーやツールは日進月歩ですが、ツールの一番美味しいところを使いこなすにはある程度の慣れを要すると思うので、時間をかけて横に掘るしかないと思います。
そうすることで初めて金を発掘できるーツールの真価を発揮できるーのではないかと考えています。
今、例えば、第一線で活躍している人は、一つのツールで尖り続けることでその道を極めた人たちではないでしょうか。
又は、複数スキルの掛け算でレアリティを出し複数分野を繋げる役割を担うのかというバリューの出し方もあると思いますが。
少なくとも、どの軸で戦うかについて明確な目標を定めてある程度スキルを振っている人が光っているように思えます。
テクノロジーを追い続けることに特化してそれ自体でバリューを出すというのもありますが、やはり自分の強い軸で戦うというのは強い戦い方だなと思います。
私は一点突破が得意でないので、そこはかなり反省していて、これから地道に横に掘っていければいいなと思っています。
マシンとの一軸の比較はナンセンスーメンタルが下がることを防ぐために
よくありがちな単純比較でメンタルをやられることがありますが、例えば極論ですが、以下はナンセンスです。
自分が自動車より早く走れないことを嘆く。
自分が機械よりも早く作れないことを嘆く。
自分が印刷機よりも早く書けないことを気に病む。
というようなことで心を痛めていないかという事です。
これに対する反証としては下記のようなことが挙げられます。
ランナーも今でも存在する。
職人は今でも存在する。
書道家も今でも存在する。
格闘家ですら今でも存在するので、恐らく、MidJourneyがあっても、画家はおそらくは存在し続けるだろうと思っています。
ある程度淘汰される分野もあるかもしれないですが、その道を極めた人の価値は下がらない傾向にあるように思えます。
マシンとの一軸での単純比較でメンタルを下げるのはとても、もったいない気がします。
他の人間との比較も無駄ー足ることを知り自分に誇りを持つという事
AI含めすごいテクノロジーや、凄い人と単純比較して落ち込んでいませんか。
どのレベルで戦うかに関係なく人間には価値があると思います。
私はどのツールを使ってもその道のプロには負けます。
でも、自分なりのレベルに合った使い方で社会に貢献していると思っています。
社会に貢献するにはどのレベルであっても可能だと思います。
自分のスキルレベルで必要な仕事が必ずあると思っていて、どのレベルでもそれは必要で大切な仕事です。
どんな仕事でもそれは社会に必要な仕事で誰かがやらねばならない事をしているからです。
それは誇りに思ってよいことだと思います。
友人がいる、家族がいる、例え仮にいなかったとしても、社会を構成するあなたの存在自体が貴重であると思います。
どんな仕事をしていても、仕事をしていなくても、存在していることが重要だと思います。
誰かにとってきっと大切な存在だからです。
今はそう感じられなくとも、誰かにとってきっと大切になる瞬間がこれから来ると思います。
それから、自分の持っている物に感謝することの大切さ。
失って初めてわかる大切な事があります。
私は一昨年くらいに、茶碗で誤って手のひらを深く切り、右手人差し指の感覚が一部なくなってしまいました。
幸い描くことに支障はなかったので、今のお仕事を続けられています。
その時に気づいたのですが、概ね体が機能しているという事自体が奇跡なのだなと思えました。
自分は歩けるし、学習もできるし、仕事もできる状態にあるだけで、可能性の塊だと思います。
できることが無限にあって、これからも新しいことを身に着けられるという事は素晴らしいことだと思っています。
私は昭和生まれなので、葉っぱ隊が好きです。「葉っぱ一枚あればいい♪」ってそういうことだと思います。
自分が最も狂えるフィールドで狂い続ける事
結論めいた事を言うのは難しいのですが、AIに仕事を奪われる心配をするのはあまり建設的ではないと思っています。
心配や恐れとはあまり有用な感情ではないので、そんなことよりも自分の軸をしっかりと持って現状を戦うことが重要な気がします。
マシンがどうなるかなんてある程度放っておいて、とりあえず堂々と好きな道を究めたり、今やっている事に一生懸命取り組むのが良い気がします。
現在自分が直面している問題をマスターする、今日を精一杯生きることで、明日や未来は開けていくのではないかと思いました。
そして、せっかくなら自分が最も力を発揮できるフィールドで戦った方が効率が良いと思います。
なので、今自分がやっていることが一番自分が愛せる仕事かという事は問い続ける必要があると思います。
最も自分が狂えるフィールドが一番スピード感を持って戦える戦場ではないかと。
それが見つからないうちは、試行錯誤を続けたり、今やっていることを極めたりして少なくとも前進していくことが必要ではないでしょうか。
それが何であれどこかに向かって進み続けることが、秘訣だと信じています。
スティーブ・ジョブズの名言にある通り、点と点が結ばれるためには、まず一つの点を作ることから始まるので、まずは一つの点を作りたいと思います。
おわりに
まとめると、AIは予測できないし、テクノロジーの発展は今始まったばかりではないので、
今更焦るのではなく、自暴自棄にならず現状を分析して今を一生懸命生きることが大切だと思います。
AIは脅威にもアドバンテージにもなりえるため、どちらにせよ問題ではなくメリットにフォーカスすべきだと思っています。
ツールの未来も予測できないのである程度リスク分散するか一点張りで特化するかは臨機応変にする必要がありますね。
戦略としては、現時点で持っているスキルセットをブレずに伸ばし続けることが重要で、
尖ることでそのスキルの利用価値を高めるのが生き残りに有効であると考えます。
マシンとの一軸比較は意味がないのとメンタルが下がるのでやめた方が賢明で、
それに加え他の人との単純比較も同様に意味がないので、自分の持っているポテンシャルや仕事に誇りを持つことが必要だと思います。
それから、人は存在しているだけで価値があると思います。
私にとってはこのとりとめのない記事を読んでもらえるだけで大変嬉しく思っています。
いつも本当にありがとうございます。
これからも、今あるものに感謝して、自分の可能性を広げていきたいと思っています。
できるならば、スピード感を持って前進できるフィールドで戦えるととても良いと思います。
ここまで読んでいただけて本当にありがとうございます。
これが何かの役に立てばよいのですが、、、
それでは、今日はここまで、ありがとうございました!