高校生の時に私は自分の人生を変える決断を一つしました。
それは渡米し建築学を学ぶということでした。
これまで転職の際に数々の面接を受けてきましたが、必ず聞かれる質問があります。
なぜ海外の大学を選び卒業したのですか?
これから、この質問に答えるべく、建築の海外留学はすべきであったかについて考察をしたいと思います。
40年近い私の人生に対して海外留学がどのようなインパクトを与え、それが就職や仕事内容においてどのような影響を与えたか。
そして、私は今、何をやっているのかということについてお話したいと思います。
これがこれから大学に行かれる皆さんの参考になればと思います。
目次
海外大学(アメリカ合衆国)の建築学部で学ぶメリット、デメリット
デザインを学べる
私は日本の大学に行っていないので、さっぱり様子はわかりませんが、日本では建築は一般的には工学部に属すると思うのです。
工学部建築学科というのが多いのではないでしょうか。
芸術大学とかはまた別なのかもしれませんが。
一般的には建築士もまたエンジニアに属するようなイメージがあるのですね。
ところが、アメリカ合衆国ではArchitecture(建築学)というのはEngineering部門にないのです。
School of Architectureは独立した専攻として存在します。
もらえる学位もBachelor of Architecture(もしくはMaster of Architecture)です。
それとは別にArchitectural Engneering という専攻もあります。
これは建築学部内にあるエンジニアの専攻になります。
工学部建築学科とは発想が逆で、建築の構造学といったところでしょうか。
何故かというと米国ではArchitecture(建築学)で学ぶことはデザイン、歴史、美術、ビジネス、都市、構造、設備、法規と多岐に渡り、構造はその小さな一部分でしかないのです。
多岐に渡り勉強が必要な建築学部で学べることは沢山ありますが、その中でも私に強い影響を及ぼしたのはデザインでした。
選べる専攻科目
そもそも、日本の大学と米国の大学では専攻のシステムが全く違います。
日本の大学では受験する段階で学部を決めないといけませんね。
法学部に入ったのに、やっぱり建築を目指そうとか無理ですよね。
米国では逆に入学してから専攻科目を変えるのは自由です。
ある専攻で卒業に必要とされるすべてのクラスを取り、必要単位数に達すれば学位がもらえ卒業です。
ダブルメジャー(専攻を2つもつ)や、私のように美術の副専攻を取ったりすることもできます。
建築学を専攻にしていたけれど結局、美術が好きということを発見して美術で卒業することも、うまくクラスのシナジーを生かせば可能です。
私の場合は父との約束があったので死んでも建築で卒業してやろうと思って建築にまずは集中しました。
厳しい卒業の条件とは
建築学部の卒業条件を語る上で知っておくべきなのはアーキテクトの資格でしょう。
米国で建築家として登録するために必要な資格です。
日本でいう建築士の資格のようなものですが、ステータスや意味合いがかなり違うので、ここでは「みたいなもの」と表現します。
アーキテクトの試験を受けるための条件として、認定された5年制の建築学部(学士過程)を卒業するか、4+2で6年制の(修士課程)を卒業するかのどちらかがありました。(もちろんその他実務の条件などもありますが)
よって、最短でもアーキテクトを目指して学位を取るとしたら、5年制の建築学部で最短160単位程度になります。
これは普通の4年制の専攻の場合120単位で良い所を+40単位取らないといけないということになります。
当然5年かかるわけですね。
取得が必要なクラスの構成も5年を前提になっています。
クラスは基本的に勝手に選んで取って良いのですが、Pre-Requisite(必須取得科目)といって事前に取らないといけないクラスが決まってたりします。
たとえばデザインスタジオⅢを取るためにはデザインスタジオⅡと構造のクラスを取得した後でないといけないというような縛りが存在します。
建築学はこの縛りがかなりきついので、ほぼほぼガチガチに固められたクラスの取り方をすることになります。
ただし、Elective(選択可能科目)というのも存在し、例えば、美術か歴史から好きなクラスを2つとかいう緩い縛りで取れる単位も存在します。
そういったクラスを組み合わせて、シナジーが合えば副専攻を取ったりするのも可能です。
専攻によっては、全く縛りが無い単位もあるので、ゴルフとか、ワインテイスティングとかをとってる人もいました。
日本の受験戦争から逃げられる可能性
そもそも、海外の大学ってどうやって受験するの?っていう話があると思うのですが、私がいた田舎の州立大学程度では試験すら存在しませんでした。
テストされるのはTOEFLのスコアと高校での成績のみです。
現在どうか、、、という問題と、レベルの高い大学はどうかは知りませんが、、、少なくとも私の時代の田舎の州立大程度ではそうでした。
これは何故かというと日本の高校の教える範囲が広いせいですね。
各高校の教育レベルにもよるのですが、進学校であれば例えば三角関数微積とかを高校で学びますよね。
これは米国でいう大学レベルの数学なのです。
よって、TOEFLのスコアと高校の水準が高く成績さえ良ければ入学ができる可能性があります。
TOEFLは何度でも受けられるので、実質年一回の受験戦争に参加する必要がなくなります。
必要なスコアはもちろん大学によりますがPBTで500~550点/677点程度だったと記憶しています。
デザインスタジオの教授の多様性
それでは欧米でいう建築デザインとは何でしょうか?
シュッとしたものを作るということでしょうか?
論理的思考による問題解決でしょうか?
これには色々な思想を持った教授が存在し、結局デザインの定義すら教授間では一致しないというような多様性を持った教育を受けることになります。
ある教授は建築はコンセプトで決まり、建築にはゴール(着地点)があり、そこに至るまでには無数のコンセプト(行き方)が存在すると語ります。
ある教授は、コンセプトなんて全く意味が分からない、デザインとは純粋な問題解決であり、コンセプトがあるとしたらそれは理論に裏打ちされたダイアグラムだと語ります。
一方で、建築とはスピード感であるとか、自分のマニフェストを決める必要があると語り、建築モデルを床に投げつけ、そこにできたグシャっとした形こそが建築だと語る事もありました。
設計の点数も教授によって全く違う点数がついたりすることもあります。
これは実際の世界の縮図が大学の中にあったといっても良いでしょう。
実際の世界でも建築家が互いの建築を批判し合うなんてことは日常茶飯事です。
隈研吾が安藤忠雄のコンクリートはその性質上それ自体が不要な構造体を包有するものであると批判するというようなこともありましたね。
建築デザインには答えが無く、その時代を反映した思想や、自分の持つ建築に対するアプローチや設計手法、そういうものをひっくるめて何が良いかを自分で考える必要があったのです。
私の時代では、装飾性を排除し、理論に裏打ちされ、幾何学的統合性を兼ね備えた、I.M.PEIの流れを汲む建築教育が主流であったように感じました。
私が4年制の時にルーブル美術館に行った時、その建築を見て、初めて自分が受けてきた教育が正しかったことを体感したのは記憶に新しい所です。
専門課程での選抜にあう
ちなみに、私の大学では専門課程(3年生以降)に入る前にArchitecture専攻で30名、ArchitecturalEngineer専攻で15名の選抜がありました。
そこまでで取得したクラスの総合成績を鑑みて、成績上位者から順に30名しか3年次以降のクラスを取ることができません。
一年生の最初のクラスを取る時点では180名程度いたと記憶しているので、かなりの人数が辞めたり、クラスを取り直して成績を上げたりする努力をする必要がありました。
毎年上位30名しか3年次に上がってこないので、毎年選抜に落ち続ける可能性もあります。
その後も、人数は減り続け、卒業する人はさらに絞られます。
私のいた建築学部ではD以下は不可でした。
よってA,B,C,D、Fのうち、D,Fは授業の取り直し(=留年(一年に一回しかないクラスの場合))です。
Cも選抜を考えると避けたいところです。
私も一度モダン建築のクラスでFを取ってしまい、留年したことがあります。
よって私は5年制の大学を6年かけて卒業することになりました。
しかし、その間にTA(TeachingAssistant(教務補佐))に志願し、一年生のデザインのクラスを教えたり(給料も若干出る)、副専攻の美術のクラスを取ったりして充実した一年になったのは不幸中の幸いでしたが。
人種差別はあるのか
アジア人として人種差別が無かったかといわれるとあったかもしれません。
道端でビール缶を投げつけられたり、大学内でも建築モデルを提出後に潰されたりという事件が多発した時期があったりいろいろありました。
これが私特有の問題であったか、肌の色の問題であったか、それは分かりません。
私は常に成績上位を狙っていたので、ライバルも多く、さらに嫌な奴でしたので、敵は多かったように思います。
しかし、そんな中でも、仲良くしてくれる人も沢山いたので、大学の生活は勉強ずくめでしたが、本当に楽しかったと思います。
寮でルームメイトと生活したり、5人でハウスシェアをしたり、いろいろな経験もしましたが、人種を超えたフレンドシップはその当時のアメリカ合衆国には存在していたと思います。
海外の有名大学 VS 田舎の大学 どちらがおすすめか
田舎でも建築学部
日本でも建築学科って人気で大変だと思うのですが、米国でも大変です。
そして大変さがきちんと広く一般的に認知されています。
米国の建築学部は医学部、法学部に次いで厳しいと言われたりすることがあります。
建築学部ですっていうと、向こうでは「それは大変だね」と同情されることもしばしばです。
例え田舎の大学であったとしても、厳しいことには変わりはありません。
比較の対象になるかわかりませんが、医学部ってどこもめちゃくちゃ大変だと思うんです。
東大の医学部はもちろん大変だと思いますが、違うところでもちゃんと大変だと思います。
よって、建築学部とは田舎だろうが有名大学だろうが一般的に大変だと考えることができると思います。
腐っても鯛ってやつなのかなと思っています。
日本における建築士とアーキテクトのステータスの違い
日本では建築士って世界でエンジニア扱いをされている気がするのです。
これはちょっといろいろあると思うので私の私見ですが。
大御所になると建築家って呼ばれますよね。
音楽家みたいなものですよね。
米国のARCHITECTの資格は直訳すると、どちらかといったら建築士ではなく建築家に近いニュアンスを持つ気がするのです。
そして米国ではどちらかといったら、医者、弁護士、建築家みたいなくくりになるような気がしてます。
訴訟大国なのでその対象になるからかしれませんが、それだけ給与も高かったりします。
よって、例え米国の田舎の建築学部卒であっても、アーキテクトをとってしまえばその恩恵にあずかることができるようなきがしてます。
設計事務所内でもプロジェクトマネージャー、アーキテクト、アーキテクチュラルデザイナーと、役割分担がしっかりしている気がしました。
日本ではみんな建築士を取らないといけないみたいな雰囲気がありますが、米国ではあまり感じませんでした。
私の勘違いかもしれませんので、違ってたらごめんなさい。
MITとのコラボ経験
一度ヨーロッパでワークショップがあって、イタリアでMITの生徒たちと一緒の授業を受けていたことがあるのです。
その時に気づいたのですが、デザインの力は決して負けていないなと思いました。
スケッチの線一つとっても設計の習熟度が何となくわかるものです。
自頭の良さは完全に負けていましたが。
奴らは頭がいいです。
読んでる本の多さやモデリングプログラムを使う能力もけた違いです。
しかし、デザインというところではどこの建築学部も変わらないのかななんて思いました。
思い上がりでしたらすみません。
米国建築学部の学費は
もう20年前の話なので参考になるかわかりませんが、田舎の州立大学でしたので、うちの家計を考えると、当時の日本の国立大学と同等の学費だったのではと想像します。
都会だと多分、3倍~とかになるかもしれません。ハウスシェアの時の家賃が光熱費込み2万とかだったので。
州立大学は奨学金かなんかの援助の対象になるので特別安いみたいなこともあった気がします。
現在はどうなのか全くわからないので、詳しくは調べてみてください。
サイアーク(SCI-Arc)とかの私大はけた違いなので、めっちゃ学費高くて無理だった記憶があります。
米国の建築学部で学べる事
当時の建築学部カリキュラム
モデルケースを参考までに掲載しておきます。
最後の数字が単位数です。
説明は時間がある時に追記します。
1年目
秋学期 (15 単位)
ARCH 1112 Intro to Architecture
POLSC 1113 American Government
HIST 1103 American History
MATH 2144 Calculus I
ENGL 1113 Freshman Composition 1
春学期 (16単位)
ARCH 1216 Architecture Design Studio 1
PHYSC 1114 General Physics
ENGL1213 Freshman Composition 2
GEN ED(3) Basic Level "S"
2年目
秋学期 (18 単位)
ARCH 2116 Architecture Design Studio 2
GEN ED(3) Science "N"
ENGSC 2113 Statics
GEN ED (3)
Controlled Elct (3)
春学期 (15単位)
ARCH 2216 Architecture Design Studio 3
ARCH 2263 BLDG.Systems
ARCH 2003 Architecture Society
ENGSC 2143 Strength of Materials
3年目
秋学期 (15 単位)
ARCH 3116 Architecture Design Studio 4
ARCH Hist / Theory (3)
ARCH Elect (3)
GEN ED (3) Advance Level "S"
春学期 (19単位)
ARCH 3126 Timber / Steel / Concrete
ARCH 3134 Thermal/ Life Safety
ARCH 3253 CAD
ARCH Hist / Theory(3)
ARCH 3263 Archtecture Materials
4年目
秋学期 (15 単位)
ARCH 4116 Architecture Design Studio 5
ARCH 3433 Acoustics/Lighting
ARCH Elect(3)
Controlled Elective (3)
春学期 (15単位)
ARCH 4216 Architecture Design Studio 6
ARCH 4263 Seminar
ARCH 5293Project Management
Controlled Elect (3)
5年目
秋学期 (15 単位)
ARCH 5116 Architecture Design Studio 7
ARCH 3433 Archtecture Management
ARCH Elect(3)
Controlled Elective (3)
春学期 (16単位)
ARCH 5217 Architecture Design Studio 8
ARCH Hist/ Theory (3)
ARCH Elect (3)
Controlled Elect (3)
デザインスタジオ
上の中の授業で曲者はデザインスタジオです。
一見すると6単位ですが、実は週6時間ではなく、16時間の授業があります。
これは作業時間ではなく、授業の時間なので主に教授やTAとのコミュニケーションの時間です。
デザインに対してフィードバックをもらったり質問したり、話を聞いたり、プレゼンをしたりする時間です。
宿題や、教科書を読んだり、作業したりする時間はその時間外にやることになります。
当然スタジオに寝泊まりして徹夜で作業することは普通です。
スタジオにはデスクが与えられるので、大抵みんな冷蔵庫を一つ持っていて、食料を貯めたりします。
流行っていたのはデスクの足置きの板の上で寝ると、床よりもちょっと温かいという、、、
締め切り直前になると大体は線を引いたままデスクに突っ伏して動かない人が続出します。
寮に戻る時間が無く、便所で髪を洗って作業することもありました。
このデザインスタジオこそが私のコアとなるデザイン力と設計力を磨くための大切な時間でした。
TA(Teaching Assistant)としてデザインの授業を受け持つ
私は留年で一年の余りがあったので、TA(教務補佐)に志願し、デザインスタジオ1を受け持つことになります。
デザインスタジオは6セクションのグループに分かれていて、その1セクションを、2人のTAもしくは、1人の教授が教えるというものでした。
プロジェクトごとに4人の教授とTA陣は、ローテーションすることになっています。
TAとして、1セクションの生徒の前でデザインの仕方を実演し、生徒に助言を与え、個性を伸ばしていかなければなりません。
そして、教授が教えているセクションの生徒よりも同等か優れたデザインを出さなければというプレッシャーがあります。
TAのセクションだからと言って、デザインの質を落とすわけにはいかないのです。
なぜなら、TAの指導もまた、生徒の成績に直結しているからです。
採点は全セクションを教授・TA陣全員でやります。
教授4人とTA4人のスコアは別々に張り出され、平均値が成績に直結します。
選抜を前に良い成績を取りたい生徒達との、侃々諤々としたやり合いは、貴重な経験でした。
専門性を持った英語を学んでおくメリット
専門性x英語はかなり強いです。
たとえば日本語の建築の用語辞典ってありますよね。
あれの英語版を英語で実質使いこなせないと授業をしたり、小論文のテストや論文に耐えうるレベルになりません。
どの分野でもボキャブラリーを積み上げるという経験というのは、広い範囲で役に立つと思います。
私がFを取ったモダン建築のクラスのテストは例えば「ベルサイユ宮殿の設計意図と時代背景について書け」というような問題が出るのです。
かれこれ20年も前の話ですからボキャブラリーはもちろん忘れましたけど、どのように単語をビルドアップしていくべきかみたいな経験は、建築以外のところでも今後も生きると思っています。
授業を聞いてノートを取り、それをもってして自分の思考回路で英語を組み立てる能力というのは、なかなか身につかないものです。
海外事務所で議事録を取るという能力もそういった日頃の授業を聞く中で培われたものだと思います。
まだその能力があるかは甚だ怪しいですが、一度経験しているのでまた環境に置かれればできるようになるかなと思っています。
教科書や本一覧
授業で使った教科書や本を紹介しようと思っていますが、今手元にないので、コロナが落ち着いたら取りに行って追記します。
海外建築学部からの就職状況
さて、米国の大学から就職はどのようにするのでしょうか。
当時の留学はF-1ビザというものを使用していたのでガチ就職はできません。
ワーキングビザというものを申請する必要があり、そのためには企業がバックアップをしてくれないといけませんでした。
それから、当時はOPT(Optional Practical Training)と言って一年間はビザなしで就労が可能でした。
そんな中私がどのように企業にアプローチしていたかということについて書きたいと思います。
大手建築設計事務所によるヘッドハンティング
一つは期末設計のプレゼンやコンペのプレゼン等では大きな企業からヘッドハンティングに人がやってきたりします。
そして、プレゼンが素晴らしければ、名刺を頂けることがあります。
そういった場合には是非、夏休みを使ったインターンシップ等を利用して職場に足を運び、就労経験を作ることができます。
それから、大学のジョブフェアみたいなものがあるので、その時にまとめていろんな企業の人とお話をする機会があります。
その時に強いポートフォリオやスケッチブックがあれば、割と興味を持ってもらえることがあります。
どの場合でも名刺を貰えるかどうかに掛かっています。
夏季のインターンシップ
私は幸い名刺を入手する機会があり、夏季のインターンシップに受け入れて頂くことができたので、夏休みだけ都市部で働く経験ができました。
米国でのインターンシップは給与を得ても当時は大丈夫でしたので、きちんとお給料もいただいていました。
インターンシップの面接で印象に残ったのは、パース一枚や模型一つでも、これには何時間かかるんだ?と時間を聞かれたことです。
それからというもの、ザックリとした時間でもよいので時間を記録する癖がつきました。
ドラッカーも時間を記録することの重要性を説いていたりするので、割と大切なことではないかと思います。
オプショナルプラクティカルトレーニング
OPT(Optional Practical Training)ではインターンシップ先の上司の紹介でマイアミの某設計事務所で一年働く経験を得られました。
ビザも発行してもらえそうでしたが、私は日本に帰る事を決めていたので申請はしませんでした。
OPT先を決める上でポートフォリオは米国の大きな設計事務所には大体送りました。
幾つか面接をやってくれる所や、ジョブオファーもいただけたので、幸運だったと思います。
これは恐らく、時代がリーマンショック前のバブルだったことに起因しているのではと思います。
決して私が優秀だったわけではなく、バブル期の不動産投資に設計人材を確保するのに手いっぱいだったのだと思います。
コロナ後の現在は厳しいかもしれません。
先輩とのコネクション
先輩から引っ張ってもらうという手もあります。
良い関係が築けている場合のみ、これは機能します。
ただし強いポートフォリオは必須ですね。
就職したらまず辞める準備をせよ
建築のビジネスのクラスで教授が一番初めに教えてくれた事です。
「就職をしたらまず新しいポートフォリオを作りなさい。」
米国では解雇になる可能性が非常に高く、一日で仕事を追われたりすることもあります。
よってのんきに構えているとポートフォリオの材料を失ってしまうことも多々あるのです。
日本では石の上にも三年という文化ですが、米国では転がる岩には苔は生えないということわざがあります。
ジョブチェンジを繰り返して成り上がっていく文化なのです。
よって、なおさらポートフォリオは重要になりますね。
帰国の際の就職はどうなるのか
ここでは米国から日本に帰国した際にどのように日本企業にアプローチしたかについてお話します。
英語のTOEICの点数は留学生であれば900点は求められますので、まずはTOEICを何回か受験しました。
大手設計事務所の可能性
大体の大手設計事務所さんには履歴書とポートフォリオをお送りしました。
新卒採用スケジュールに乗れない境遇にあったので、別途面接をしてほしいとの趣旨のお願いをしました。
うち2社返信があり、面接の結果、一社から無事新卒採用していただくことができました。
その当時はやはり景気が良かったのと、海外でのプロジェクトが盛んでしたから、海外部門に人が欲しかったのだと思います。
私は非常に運が良かったといえます。
海外の大学を卒業した場合の一級建築士の受験資格と取得できるか
私の時代の受験資格はその大学の課程が日本の物と同等以上であることが証明できる書類とその日本語訳、卒業証書と成績の証明書などがあれば大丈夫でした。
建築の日本語ボキャブラリー0から始めると結構時間がかかりますが、取れます。
構造の力学や設備システムの根本的な事は理解していましたが、法規に絡むとインターナショナルコードと全然違うので、苦労しました。
詳しくは以下の記事をご覧ください。
アーキテクトの資格はどうなるか
私は持っていませんでしたが、持っていると一級建築士を受験する際に、法規以外が試験免除になったりする場合があるようです。
これは聞いた話なので、実際どうなのかは問い合わせて調べてみてください。
ポートフォリオとスケッチブックはパスポート
私は建築かぶれなので偏った見方をしているかもしれませんが、私の浅い経験の中で感じ取った強いポートフォリオとは何か考えてみました。
インパクトやグラフィックスキルはもちろん大事なのですが内容も又大事だと思っています。
転職の際に最も効くのは、どんな「話題性のある」プロジェクトや場所で、どんな「スケジュール感で」「自分が」「何を(役割)」していたかではないかと思います。
話題性があるプロジェクトや著名な人とコラボした経験などは分かり易い強みになります。
それから、複数の仕事を掛け持ちしていたり、時間軸が書いてあってスピード感が伝わるとデキる能力が伝わりやすいのではと思います。
そして、自分のワークをきちんと載せられるとベストです。
紙切れに書いたコンセプトスケッチや、自分の作った模型、書いたディテールなんかはこまめに写真に残して、これは私がやりましたと言えるようにしておくと良いと思います。
そしてどんなチームのどのポジションで働いていたかが分かるようにしておくと何をしていたのかが分かり易いと思います。
強いポートフォリオやスケッチブックは、どこにでも行けるパスポートになります。
海外で建築デザインを学んだ結果
海外で建築デザインを学んだ結果私の人生にどんなインパクトがあったかについてお話したいと思います。
コンペや柔らかい段階のプロジェクトに参画できる
デザインの能力を買ってもらえると、コンペやコンセプト段階の基本構想、都市計画等、奇抜な形が歓迎されるプロジェクトに抜擢される場合があります。
それから、デザインの第一線に置かれる場合があるので建築的考察に裏打ちされた形態模索をさせてもらえるという花形部門においてもらえる可能性がありますね。
自分の手が入った形が実現する可能性があるのでとてもラッキーなことだと思います。
一方で現場に置かれる可能性が低い
一方で柔らかい段階での設計に突っ込まれすぎると、それに特化してしまい、一つのプロジェクトを最後まで見る経験が無いこともしばしばです。
現場に常駐して、ちゃんと建てるという建築の醍醐味を味わうことなく、形態模索をひたすら続けるようなことになる可能性もあります。
設計者という意味では現場を見ていないというのは致命的で、「お絵かき屋さん」と揶揄されたりすることもあります。
決定権を持つ出世ラインに乗らない可能性がある
決定権を持つ出世ラインに乗るためには、プロジェクトを成功させる(建てる)必要があります。
それも小さなプロジェクトでも良いので繰り返し全体の流れを掌握する事が最短ルートです。
例えどんなにデザインができたとしても、現場も含めプロジェクトを成功に導くことが出来なければ、一人前とは言えないのです。
そして、いずれ、出世ラインに乗った人が、デザインの決定権を持つようになります。
すると、お絵かき屋さんでは、デザインの案出しはできても、それを実現させられないようになってくる場合もあるでしょう。
結局決定権を持つのは立場が上の人なのです。
最新のプラットフォームが無い所にいると腐る
それから、海外は10年ほどテクノロジーが進んでいるので、最新のプラットフォームが無いとスキルが腐る可能性もあります。
せっかく新しい技術を持っていても、それを使える環境が無ければ意味がありません。
そういう意味では働く場所を選ばなければならない可能性があります。
先進的な職場でしか楽しく働けなくなることはあるでしょう。
デザイン系の業界に若干噛める可能性
デザインができるのであれば、建築にこだわらずとも、デザイン全般の業界にアプローチすることも可能だと思います。
建築から広告業界やデザイン業界に羽ばたいていった人も少なからず見かけます。
結局、私は今何をやっているのか
海外で建築デザインを学んで10年日本の建築事務所で働いた結果、私が今何をやっているのかについてお話します。
仮想現実の可能性
現場経験がほとんどない私は現場を捨てました、、、といっても、まだ現場のファブリケーションに携わる可能性があるVR系の設計事務所で働いているのですが。
私が今やっているのはVRです。
今、一番デザインが足りてないのは仮想現実ではないかと思っています。
このご時世、建築が建つか建たないかに関係なくデザインが生き残るのは仮想空間ではないでしょうか。
建築を生かしたVR系企業
建築系のVRの需要って結構あると思うのです。
まだ建ってないものを見れる需要はかなりあると思っています。
デザインのフロントラインに立つためには今後はVRを学ぶ必要があると感じました。
デザイン力を生かした働き方
よって、私は現在、建築デザイン的な思考ができるVR屋さんになろうと思っています。
人生100年時代で3足の草鞋を履く覚悟
多分これから人生100年時代が来ると思います。
そう考えると最低でもあと50年くらいは色々学べる余裕があるわけです。
であれば、建築デザインにさらにVRを掛け算してついでにプログラムも覚えて、、、なんて考えてしまいます。
最後に
自分のやりたいことは結局やらなければわかりません。
建築デザインが好きだと思っても建築に違和感があったりとか、まさかこの年になってVRを学びだすとは思いもしませんでした。
私は10年建築をやっても建築が本当に好きなのかどうか判断がつきかねました。
純粋に好きなことを突き詰めていくと思ってもみないところに答えが見つかったりすることもあります。
でも、全ては建築を海外で勉強し始めた結果、今ここにいるのです。
何かを始めてみなければわからないものですね。
自分がやりたいことがあるのであれば全力で始めるべきです。
無くても何か適当な理由で決めて始めるべきです。
落ちてる武器を拾って戦い続けることでしか運命は開かないと思います。
常に探し続ける事、そして目の前のことを一生懸命やる事。
一生懸命やりながら、それは間違っていないかたまに疑う事。
日々試行錯誤と実験の連続です。
私の探求は続きます。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
これが何かの役に立てばとても嬉しく思います。